訪 問 者 の 質 問
先生のホームページを決して批判するつもりはありません。私が心から納得出来ませ
んからお尋ねしたいのです。どうか答えください。
なお,多少批判的であったり,挑戦的な質問でも,先生の大きな心をもってお答えく
ださるようお願い致します。そんな中にも良い質問がきっとあると思います。ホームペ
ージから察するに,ヨーロッパの数学の発展の歴史をご存知であると推察します。数学
が無数の人の批判や挑戦をくぐり抜け,少しづつ出来上がっているではありませんか。
再度申し上げます。先生のホームページを批判するのは天才を批判すること心得てい
ます。私の質問にお答え願います。天からの啓示が私のパソコンにいつ降りてくるかと
思いながらお持ちしています。
先生のホームページに a0=1 の証明があります。これを見て,それ以前のページ
で、それが証明できるように準備がされてあるように思えます。これが数学の証明であ
ると言えますか? 私にはどう考えてもインチキとしか受け取れません。「準備がされ
てある」と受け取るのは誤りですか? もし誤りでないいならば,何かお考えがあるも
のと想像します。それを教えてください。
お 答 え
もっともなご意見に返す言葉もありません。大きな心を持つべきであるのは分かりま
すが・・・,これには大きな学力が必要です。そこはどのように頑張ってもどうにもな
りません。学力,あるいは、広く「能力」に応じた心しか持てない。これは私だけでは
ないでしう。私が答えるかどうかについて,ちょっと気を使い過ぎですよ。もっと気楽
にメールを送って下さい。世の中には色々な人がおいでになり,中にはイジワルな質問
が舞い込みます。そんなものには答えませんが,世間の良識を心得た方の質問は歓迎し
,可能な限りお答え致します。
ご質問の内容はイジワルな,あるいは批判的なものとは受け取りませんでした。ご安
心ください。お答え致します。「証明できるように準備がされてあります」これは本当
です。十分な準備をし,これを使って証明をしました。けれども,これが インチキ と
は思いません。数学はそれで良いと思っています。また,これまでの数学はこの準備が
足りなっかっとさえ思っています。これは要するに開き直りです。これはいけませんか
・・・? インターネトに「天からの啓示」を期待しても駄目ですよ。ご期待にお応え
出来なくて誠に申し訳ありませんでした。
訪 問 者 の 再 質 問
「開き直り」ですか。泥棒さんの開き直りと先生の開き直りとは本質的に異なると私
は信じています。どうして開き直りをしても良いと考えられますか。その理由を教えて
下さい。
お 答 え
お答えする前に一言申し上げます。尋ねたいことを単刀直入に書かれてあり,今度の
質問は大変気に入りました。目に余るお世辞は不要です。そんなものよりも誤りを見つ
けて下さい。そして、それを添えてください。この方がよほど有り難い。こんな方の質
問を優先的してお答えし致しています。お世辞はがあるメールには「何か下心あり」と
受け取ります。実際にそんなものがしばしばも舞い込んでいます。
それではご質問にお答えしましょう。人間の五感に捕らえられるる自然を人間は言葉
で表します。数字も言葉の一種と言えば罰が当たります。言葉そのものです。この言葉
は自然を出来るだけ忠実に表せるように作っておかねばならない。そうしないと誰も使
わなくなり,やがて忘れられてしまい,そして、抹殺されるでしょう。数学で使われる
自然数,整数,有理数もまったく同じです。数がどのように作られてあるのか。「どう
やら,こんな定理が成立するらしい?」 ということを手探りで発見したときには, 数
がその証明に耐えるように作られてあるのかを吟味しなくてはなりません。そして,も
し不十分ならば補充しなくてはならないでしょう。これに同意してもらえるならば,私
の開き直りにも同意出来るでしょう。
どこかの有名な大学教授のように少し抽象的になりましたから,これ程いにして,具
体的な例を取り上げてお話しましょう。
その例とは a0=1 です。
このページはその質問に答えるのに用意しました。
指数の始まりを考えてください。 3×3×3×3×3×3×3=??? これは大変
です。ノートがすぐになくなってしまうぞ? シャープの芯が減るぞ? その前に手が
疲れるぞ・・・? 読むときには 3 が幾つ掛けてあるのか,いちいち数えてみなくて
は分からんなぁ・・・?
不満を並べればどれだけでもある。そこで 3×3×3×3×3×3×3 は 37 と
書きましょう。これが自然数の指数です。 始めにこれを考えた人の頭には 32,33
は無かったでしよう。これくらいならば 3×3,3×3×3 と書いた方がよほど分か
りやすい。まして 30,31 があったとは到底考えられません。やがてそれが必要さ
れる時期が訪れたました。それがどの時代であったかは勉強不足で知りませんが,ケプ
ラーやガリレオの時代に必要に迫られたのは確実です。なぜならば,指数無しでは、近
代、そして、現代の科学文明が誕生しなかったに違いないと思えるからです。
次の計算を私は電卓で計算しました。
2340000×456000÷25800=4135813.953
電卓でも誤りが無いかちょっと自信がありませんねぇ・・・。これを小学生にやって
もらったら? まぁ,やれないこともないが大変でしょう。それなら大学生にやらせた
ら? こんなくだらないことを俺にやらせる気か,と文句を言って,やってくれそうに
ない。これは誰がやっても大変である。そこで一工夫されたのが次の計算です。
2340000×456000÷25800
=(2.34×106)×(4.56×105)÷(2.58×104)
=(2.34×4.56÷2.58)×106+5−4
=4.135813953×107
=4135813.953
次に,この計算法を使って計算しました。
2340×456÷25800000
=(2.34×103)×(4.56×102)÷(2.58×107)
=(2.34×4.56÷2.58)×103+2−7
=4.135813953×10−2
10−2 はどんなこと? これはちょっと分からんから,カンニングして,つまり
電卓を使って求めよう。これによると,答えは 0.04135813953 である。
10−2 は 1/100 らしい???
次に,この計算法を使ってもう一つ計算しました。
2340×456÷258000
=(2.34×103)×(4.56×102)÷(2.58×105)
=(2.34×4.56÷2.58)×103+2−5
=4.135813953×100
100 はどんなこと? これはちょっと分からんから,これもカンニングして,つ
まり、電卓を使って求めよう。これによると,答えは 4.135813953 とな
って、100 は要らないなぁ? これが出てきたらば放り出せば良い? 駄目かね
ぇ・・・、100 は 1・・・??? これはちょっとねぇ・・・、私や受け入れ
られませんが・・・???
ならば,次の計算は 103×102÷105=103+2−5=100=?
まぁ、まぁ,仕方がないから認めてやるか? 認めてやるから、証明をしてくれな
いか・・・? これに答えるのは難しい??? 難しいのを通り越して証明が不可能
である。数学において,証明が出来なくて正しいとはどんなこと? 私が高校時代に
習った先生曰く「定義であるから覚えなさい」これは無茶苦茶では御座いませんか?
これは証明の準備が出来ていないのである。自然数の指数の定義から出発して,ど
う考えても 100=1 の証明は出来るはずがありません。なぜなら、この 0 は自
然数ではなさそうなんです。負の数もちらついていますから、多分自然数ではないの
です。証明するには,始めに整数の指数の定義を定めてからでないと,どんな天才を
持ってきても証明が出来ないでしょう。
それでは整数の指数の定義を定めよう。
1) an =1×a×a×・・・×a ( 1 に a を n 回掛ける )
2) a−n=1÷a÷a÷・・・÷a ( 1 を a で n 回割る )
3) a0=1 1 に a を 0 回掛ける,1 を a で 0 回割る )
上の定義は 10−2 は 1/100 らしい ,100 は 1・??? を考慮して定
めました。つまり,これが証明できるような定義を考えたのです。これを「インチキ」
と言われますか・・・? これをインチキ と言われて,私が開き直った訳を考えてく
ださい。 もしこれを理解出来れば,現在公立学校で使われている数学の教科書の一歩
先? こんなことは指数だけではありません。驚くべきことに,現在使われている教科
を開いて見れば,他にも沢山あります。 教科書の落ちこぼれ・・・? まさかねぇ・
・? 数学が落ちこぼれているのかもねぇ・・・???
そうは言っても an=1×a×a×・・・×a は眉つばなぁ???
先頭の「1」が気に入らないねぇ・・・!!!
まぁ、そうでしょう、本当の整数を使って、
次のように定義するのが自然です。
a(m、n)=a×a×・・・×a÷a・・・÷a
使いたい定理、公式を発見したら,それが証明できるように準備を整えてからに
して下さいませんか。そうでないと,小学生,中学生,高校生が落ちこぼれます。
訪 問 者 の ご 意 見
a の 0乗は 1 であることを証明するのに a の(m+n)乗は a の m乗掛け
る a の n乗を利用すればどうでしょうか。
例えば m=−n のとき,(1/an)×(an)=1 を利用すれば当然のことではな
いんでしょうか?
お 答 え
このご意見に私が答えるより,誰かに他にご意見を送ってもらえるのを待ちましよ
う。最近私の答に批判が届いています。「質問者をブルトーザーで排除するようなお
答えをしないように・・・」 こんな批判です。 せっかく送られてきたメールなので
一言コメント致します。「数学というのは暗闇の中で確かな手応えを見付けても,そ
れを表に出すには周到な用意をしなくてはなりません」
訪 問 者 (上の質問者とは別な方) の ご 質 問
上の「数学というのは・・・周到な用意をしなくてはなりません」の意味が分かり
ません。もう少し分かりやすく説明して下さい。
お 答 え
これとは別な例でお話しましょう。一次方程式とその解法から,我々は 「負×負=
正」らしいことに気づきました。 この時点では未だ暗闇の中で確かな手応えを見付け
たに過ぎません。 「これが本当に正しい」といえるために我々はどうしなければなら
なかったのか? 小中学校の算数と数学のブロックの「正負の計算」のページをご覧く
ださい。 但し,そこに書いてあることは,いずれ皆さんにご理解頂けるであろうと確
信していますが,残念なことに反論メールが幾つか届いており, 未だ皆さんにご理解
頂いたものではありませんから,よくよくご注意下さい。
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