<例題>直角三角形ABC の内心を I とし、I から3辺に垂線を降ろし、垂線と辺に接する
図のよう3つの円と△ABCの内接円がある。中心が P、Q の円の半径を 9,8 と
するとき、中心が R の円の半径を求めよ。(和算問題を改題、元の問題は下にあり)
<解答>△ABC の内接円の半径を r とすると、
条件より、(QP)S=(QL+LA+AK+KP)S
=(QL)S+(LA)S+(AK)S+(KP)S
+2(QL・LA)+2(QL・AK)+2(QL・KP)
+2(LA・AK)+2(LA・KP)
+2(AK・KP)
=(QL)S+(LA)S+(AK)S+(KP)S
+2(QL・AK)+2(LA・KP)
(9+8)2+(9−8)2
=(8)2+(8+r)2+(r+9)2+(9)2
+2{−8×(r+9)}+2{−(r+8)×9}
92+2×9×8+82+92−2×9×8+82
=82+82+16r+r2+r2+18r+92+92
−16r−144−18r−144
0=r2+r2−144−144
=2r2−288
=r2−144
144=r2
r=12
r/2=6・・・・・・・・(答)
<例題>直角三角形ABC の中に図のよう3つの円と △ABCの内接円がある。大円、中円の
の半径を 9,8 とするとき、小円の半径を求めよ。
<解答>中心が R の円の半径を r とすると、
条件より、(KN)S=(r+9)S−(r−9)S=4r×9
|KN|=6×r1/2
(LM)S=(r+8)S−(r−8)S=4r×8
|LM|=4×(2r)1/2
上の式より、
(QP)S=(QL+LA+AK+KP)S
=(QL)S+(LA)S+(AK)S+(KP)S
+2(QL・LA)+2(QL・AK)+2(QL・KP)
+2(LA・AK)+2(LA・KP)
+2(AK・KP)
=(QL)S+(LA)S+(AK)S+(KP)S
+2(QL・AK)+2(LA・KP)
(9+8)2=(8)2+(4×(2r)1/2+r)2+(6×r1/2+r)2+(9)2
+2{−8×(6r1/2+r)}+2{−(4×(2r)1/2+r)×9}
144=(4×(2r)1/2+r)2+(6r1/2+r)2
+2{−8×(6×r1/2+r)}+2{−(4×(2r)1/2+r)×9}
=2r2+{8×(2)1/2+12}r3/2
+{34}r+{−72×(2)1/2ー96}r1/2
0=2r2+{8×(2)1/2+12)1/2}r3/2
+{34}r+{−72×(2)1/2ー96}r1/2−144
=r2+{4×(2)1/2+6}r3/2
+{17}r+{−36×(2)1/2ー48}r1/2−72
f(r)=r2+2{2×(2)1/2+3}r3/2
+{17}r−12{3×(2)1/2+4}r1/2−72 とおく。
上の例題より、f(6)≒0
f(6)=62+{4×(2)1/2+6}(6)3/2
+{17}(6)+{−36×(2)1/2ー48}61/2−72
=・・・・・・
f(7)=・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・
f(6.1)=・・・・
・・・・・・
・・・・・・
f(6.09)=・・・・
準 備 中
これが既存の数学の範囲で解いた秀才の解答です。
ここには優秀なスタッフをそろえてHPが運営されているようで、個人が制作
するHPとは段が違います。それ故に相当に難しく・・・、平均的な生徒には手
が届きそうにありません。これは「頭が悪い者は諦めなさい」と言っているよう
なものです。まぁ・・・、そも、そも、これは江戸のカミソリ頭脳脳の発想の原
点ですから、和算の問題を解けば、こうなるのは、ある程度「止む無し」なので
しょう。
数学の解答は己の実力を見せびらかすところではありません。「俺が作った問
題をやって見ろ、出来ないだろう・・・」 こんなことよりも、落ちこぼれを一
人でも少なく!!!
幾何学の答えは、自然数に始まり、整数、有理数、無理数、更には、π、e,
超越数、と必要に応じて、どんどん追加していっても一向に構いませんが、これ
では切りがありません。それでもって全ての答えを表すことは出来ません。こん
な問題に出あったら、与えられた問題に可能な限り近く、かつ、答えが有理数で
表される問題に作り変え、これを解いて、その答えを足場にして、問題の答えを
挟む微分演算の数(an,bn)を作り、これを答えにします。こうして置かな
いことには、幾何学の全ての問題に対応出来ません。
そもそも、微分演算の数は、その名前の通り、微分積分構築のために、当HP
で、実数に代わるものとして作った数なのですが、それ以外の分野に使っても罰
が当たらんでしょう。と言うよりも、微積分の誕生前に微分演算の数(実数)をあ
らかじめ作っておいて、それが十分に成熟するのを待って、これを使い、数学が
微積分を創造していたならば、あのどうしようもない「無限、極限」への迷路に
陥ることなく、微積分の発展がスム−スだっただろうと考えられます。まぁ、そ
んなことは、出来上がった数学を眺めた三、四流の数学者か、あるいは、創造出
来る能力を持たないないが、数学者のような顔をしたい評論家が考える「机上の
空論」であって、無茶苦茶と言うものです。
イエ、イエ、そんなんことはありません。江戸の昔、和算にはそれがありまし
た。和算家は微積分の準備をしていたのであったが、微積分は誕生しませんでし
た。
その理由は、和算学者が「天体の運行から、地上の運動の法則」へと、目を向
けられなかったからでしょう。これが和算と洋算の決定的な差となったと考えら
れます。「和算は当時の世界最高水準であった???」 こんな説があるそうな
ぁ・・・??? これは嘘八百でしょう。明治政府が和算を捨て、洋算を採用し
たのは賢明で、これが今日の日本を作ったのは確かである。
リンゴが木から落ちるのは当たりまえ・・・?
これでは微積分は誕生しません。
まぁ・・・、ねぇ・・・、十分な準備をしなくとも、微分積分を創造し得たの
は、西洋の数学者が偉大であったことの証です。さりながら・・・、同時に大変
な欠陥も伴っていまして。似たようなことは他の分野にもあります。その代表は
虚数「I」、ユークリット幾何学の「公理}です。どうやら・・・、西洋の天才
数学者は、大地と足の裏の接触部分が鈍感だったようで、最近のナノテクノロジ
ーの分野に足を踏み込むと「力不足」になることが予想されます。
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